追悼 世界最速マシン最高齢バッター 米田勝さん

米田勝さん

令和3年1月22日、三萩野バッティングセンターで世界最速240キロを打つ最高齢のバッター米田勝さんが金沢市内の病院でお亡くなりになりました。享年83歳。

この方はメディアでも多く紹介された石川県金沢から年に2~3回お越しになられ、朝から晩まで750球(50ゲーム)も打つほどの鉄人おじいさんでした。
昨年も2度ほど来店を計画されていたのですが、コロナで実現せず、最後のバッティングが2019年12月29日の来店となりました。
ギネスのチャレンジもまだできてないのに残念です。

地元でも有名人で亡くなられた記事も北國新聞に掲載されています。笑顔が優しいみんなから好かれる方でした。
ご家族のお話では9月から心臓の病気で11月まで入院されていたのですが、
それから退院され自宅で療養されていたところ今月の21日に自宅で気分が悪くなり
翌22日に病院で家族に看取られながら苦しみもなく旅立たれたそうです。

謹んでご冥福をお祈りいたします。天国でもバッティングセンターで楽しんでくださいね。
当センターでも人気者だったのでこの場を借りてお知り合いの方にお知らせさせていただきます。

~~ 米田勝さん紹介 ~~
S12/12/15生まれ 享年83歳
石川県金沢市
80歳まで鉄工所の社長を務める

2006年7月に当センターにテレビで世界最速180km/hのことを知り、
どうしても来てみたいから行き方を教えてほしい」と電話で問い合わせがあったのが
当店とのご縁の始まり。

それから大阪出張の度に小倉まで新幹線で来て600球ほど打ってまた大阪に帰るということを毎年続けてきた。

2016年7月には正面中央のヒットボードに直撃させ、最高齢の世界最速240キロヒッターに認定された。

メディアにも多く出演され「ナニコレ珍百景」「NHK突撃アットホーム」「やわたのグルコサミンCM出演」など全国放送にも多く紹介された。

そのチャレンジ精神は多くの人に元気を与え、その温厚な人柄は多くの人から好かれる存在でその訃報は地元の新聞紙「北國新聞」にも大きく掲載されるほど人気者ぶりがうかがえる。

晩年は年に2回ほどのイベント時来店だったが、相変わらず400~500球ほど打ち込み、ギネスブック挑戦に人生をかけていた。

2020年は計画できずに申し訳ないと電話をいただいたのが、昨年の8月。
「コロナが収まったら必ず行きますから」「はい。お待ちしています」
と交わした言葉が最後になった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました