第8話:鹿児島のイチローの回顧録① 「テレビに出されて運命が大きく変わった」


「テレビに出されて運命が大きく変わった」

2001年の62 歳の夏に糖尿病が発覚し医師から“食事療法と何か運動をして汗を流しなさい”と命じられた。

“歩くのが一番良い”と言われたのだが、昔から下半身の能力は人並み外れて弱かった。

それで歩く以外で何か良い運動は無いかと考えた結果、立ったままで汗を流せそうなバッティングセンター

に行くことにした。

野球の経験は皆無だったのでボールを打つことは出来ず、空振りの連続に終わった為に、

面白くないので一日でやめた。

数日後、父を病院に送って行った際にバッティングセンターへ行っていないことがバレて、

父から“男が一度始めた事をたった一日でやめるとは何事だっ、今スグに行けっ”と千円札を突きつけられた。

人前で叱られてカッコ悪かったので、言われるまま速攻でバッティングセンターに行った。

普通の球を打って空振りするのは恥ずかしいので、誰も打っていない140km/hの打席で打つことにした。

初日の時と同じくカスリもしなかったが、三ゲーム目に一本当たったのがホームランの的に当たった。

マグレの中のマグレなのに、“野球ど素人の老人が140km/hでホームランを打った”と評判になった。

そしてコレを誰かが“探偵ナイトスクープ”に投書したことでテレビに出されることになった。

しかし、大して打てなかったことから短い映像で終わっていた。

しばらく後にこんどは東京のテレビに出されることになり、当時大リーグ・エンゼルスの投手だった

長谷川さんという人と五球勝負をさせられた。

まだ軟式球しか打ったことが無かったのに、現役バリバリの大リーガーの投げる硬式球を打たされるのだ。

従ってバットもテレビ局が買って下さった重たい硬式用の金属バットで打たねばならなかったので、

まず振れそうにないし、万一当たっても飛ばないだろうと思った。

結果は三振に終わったが四球目に当たってサード横のファールとなって遠くまで転がって行った。

このことから“重たいバットがいかに威力があるか“ということに目覚め、私自身を含め、誰一人として

予想だにしなかった“老人のアスリート人生”が始まることになるのだ。

そしてしばらく後に地元のテレビ局に“鹿児島のイチロー”と名付けられた為に、更に思ってもみなかった

波乱に満ちた人生が加速して行くわけだ。

(次回へ続く)

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