私は月刊「自動車工学」誌の燃費の担当筆者を務めていた頃、燃費というのは自動車そのものだけでなく、運転者の運転状態や管理状態や道路状況、交通状況、などなどあらゆる状態、状況が複雑にからみあって、その最後に出てくるのが“燃費”というものなので、交通社会のあらゆる事象事態に目を光らせていた。
そして、毎年運輸省の関係団体が主催される交通社会を良くするための懸賞論文にも応募していた。
与えられたテーマに沿って書き上げたモノを同僚たちや他の自動車関係者の人達にも読ませてから送っていた。
“さすがですね、目のつけどころが的確ですね”とか、“これは間違いなく選に入りますよ、素晴らしいです”と、一度も“ダメ出し”されたことは無かった。
私の出した論文の成果に誰もが大きな期待を寄せて発表の日を待つのが常だった。
しかし、 5 年間、毎年出していたのだが、ただの一度も佳作にさえ入ることは無かった。
選に漏れる度に、“あれが落ちるとは信じられない”と言って、色々な人たちも一緒になってその原因を考えてくれていた。
6 年目、いつものように集まった数人の人達に書き終えた論文を読んで貰ったら、また大好評だった。
しかし、皆さん、“こんなに素晴らしい論文でもまた落とされてしまうんですよね”、と、早くも悲観される状況だった。
ふと私は自分の名前が悪いのじゃないかと思った。
モノを書いたり、ミーティングや講演をさせられても、いつも、出た結果を元に結論を先に言っておいて、
相手を容赦なく潰すというやり方だった。
このズバッと行くやり方を大好きな人もいたが、どちらかというと、嫌う人の方が多いと感じていた。
それで、シロクロをはっきりさせて、押し付けるやり方で敵を沢山作っている本名の“満山一朗”ではなく、ペンネームを作って違う名前で出してみようかと提案した。
“なるほどそれは良い考えです”と言う人と、“こんなに素晴らしいモノを他の誰かも分からない名前で出すのは、もったいな過ぎますよ”という人達に分かれた。
結局、まろやかな書き方に変えて、名前も人に好かれるような名前にしようということになった。
その結果は、内容を穏やかな書き方に変えて、名前は姓名判断の本で研究して優しそうな “山尾祐一郎”ということにした。
そして読んでくれた全員の賛同を得てこの名前で出した。
なんと五百人を超す応募者の中で、入選という栄誉に輝いたのだ。
しかも、選者の方々から、特選の人よりも高い評価を得たのだ。
そして実際に実施されたのは私の出した、“罰金は上げていいから、 40km/h 制限を 10km/h 上げるべきだ”という主旨の提案だった。
上に加えて、10 万円の賞金と銀座天賞堂の立派な置時計が送られて来たのだった。
そして、二年間くらいの間に、まず罰金が少し高くなって、続いて全国の道路の速度制限が 10km/h づつ上げられて交通の流れがスムーズになったのだった。
初の入選と高い評価に仲間連中は大喜びしてくれたが、今度は“マグレだ”と言いだした。
“ならば見ておけよ”、と次の年も応募したら、特選は該当者が無く入選二人と、佳作二人だけの当選で、私は佳作の上位だった為に、“マグレ”ではなかったことを実証できたのだった。
このことから名前の持つ力の恐ろしさを思い知った。
以後、“満山一朗”は従来どおり頑固一徹の悪役として、“山尾祐一郎”は穏やかな中道人として生きて来ている。
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