第31話:鹿児島のイチローの回想録㉓「“自分の葬儀に500 人の参列者を集められるように努力を積め” と」

私の師匠の厳しい教えの第一がコレなのだ。

“男の一生の結果は葬式の時に表れるのだ”、と。

“いかに多くの参列者が足を運んでくれるかで、その男の成し遂げた事の大きさが分かるのだ、俺は最低でも三百人は来てもらえるように努力と奉仕を積み重ねるから見てろよ”と言っておられた。

そして私には、“お前は五百人だな”と…

そして師匠は 41 歳で亡くなられたが、参列者は全国から 700 人を越えたのだった。

通信手段、交通手段がまだ整っていない時代での 700 人だ。

現在なら想像できないほど多くの人々が弔問に訪れたことと思われるのだ。

もう一人の大恩人の自動車工学誌の編集長の葬儀には、東京の大きなお寺に全国から 1500 人以上が参集された。

いずれもかなり昔のことなので、その凄さ、偉大さが偲ばれるのだ。

ではその教えや恩恵を受けた私はというと、長い運転関係で二人、文章関係で一人と、三人のキーマンが、私の葬儀の為にそれぞれ“ 300 人は集めてあげますから盛大にお見送りさせていただきますから安心して下さい”、と言ってくれていた。

これなら師匠との約束を果たせると思って、葬式の内容の希望も伝えていた。

その内容とは祭壇の私の棺桶の周りに、私が担当した記事の掲載されている 36 年間で約二百冊の「自動車工学誌」をちりばめ、その後方周りに死亡直前に所持している5 ~ 60本のバットを飾る、そして周りを花で埋め尽くす、というものなのだ。

それと、香典返しには拙著の「頑固おやじから娘へ」という単行本をプレゼント出来るように編集部から戴いてあるのだ。

この「自動車工学誌」を葬式に飾るというのは、大編集長以外には私だけが許可を戴いている、大変に栄誉でありがたいお許しなのだ。

それで自分の葬式を想像するだけでワクワクしていた。

しかし、非常な運命は、三人の私よりはるかに若いキーマンたちが70 歳で一人、あとの二人も 65 歳という若さで旅立って行ったのだ。

私をたった一人残して。

長生きしたばかりに、私の葬儀には誰も来てくれないのだ。

頼みの綱の山の神は、“家族葬にする”、と固い決意を持っている。

師匠の教えをかくななまでに守り、500 人の葬儀参列者を集めようと、文字通り寝食を犠牲にして頑張って来たのに、

“一体全体オレの人生は何だったんだーっ”と喚きたい気分だ。

そこへ“新型コロナ”という大逆風まで吹き荒れていて、たった数人の家族葬さえ出来るとは限らないトホホ…な状況だ。

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