第71話:鹿児島のイチローの回想録59「“天は二物を与えず”だったスラッガー」

中三の時に父親から指導を頼まれて四年間面倒をみた球児だが、彼の最大の欠点を

直してやれないまま、東京の大学に進学の為に別れとなった。

身長は 184cm で体重が 76kg と均整のとれた立派な体に成長し、ホームランも

メテオドームで三本の指に入るほどに量産できるまでになった。

しかし、どうしても精神的な弱さを克服できず、ホームラン対決イベントや学校での

対外試合などになると、全く打つことができなくなる打者だった。 

お別れの日に、二人で昼飯を食った後メテオドームに行き、最後のホームラン対決を行った。

私に先攻をとってくれと言うので一本はデカイのを打って指導者としての意地を見せておかねばと

思って気合十分で打った。

結果は二本の最上段のホームランが出て、“凄い、凄いです”と言っていた。

後攻の彼は、また病気がはじまっていた。

練習では何本も打っていたので、ついに最後こそは私を破って恩返しての

お別れになるなと期待したのだったが、いざ本番となったトタンにガチガチに固くなって打っていて、

結局一本も打てずに終わってしまった。

高校に入ってから、折々に私とホームラン対決させて精神力を鍛えていたのだが、

ついに一度も私に勝つことは無くして終わったのだ。

記念に私の加工した素振り用のバットをプレゼントしておいた。

 野球部においても練習ではガンガン打てるのに、試合になると緊張で全く打てなくなるので、

一度もレギュラーにしてもらうこともできなかった。

 性格が素直なので、教えた技術的なことは他の球児より早く覚えるし、

上達ぶりもあっぱれなのに、あまりにも正直すぎるので、勝負度胸が育たなかったのだ。

なんでもない時のホームランは誰が見ても一流のモノなのに、実戦で活躍出来ず、

本当に惜しい打者だった。

 最初の出会いが、“気が小さくて試合に出されると全く打てなくなりますので、

何とかして下さい”と、お父さんからの依頼で指導を引き受けたのだった。

それで最初に取り組んだことは、何か一つ得意なものを身に着けさせて自信を持たせよう

ということから始めた。

 受け身な性格なので、打つことに関してやや時間のある“低め”に強い打者にしてやろうと思った。

コレがうまく図に当たって、ごく短期間低め打ちが得意になって、自信もついたかに見えた。

しかし、何らかのプレッシャーがかかると、たちまちにしてこの得意さも消えてしまっていた。

次に取り組んだのが、“ストライクゾーンよりボール一個外れたのもで打つ”、

という超積極性を育てることだった。

すると、これも誰よりも器用にこなすようになった。

ピッチャーにとっては実に厄介なバッターなのだ。

しかし、これも試合では全然ダメだった。

 野球が大好きだし、研究熱心な点でも人並み外れているので、

バッティング技術のレベルは十分に自信を持っていいものを備えるに至ったのだが、

最後まで精神力を育て上げることはできなかった。

“天は二物を与えず”、という言葉は彼の為にあったようだ。

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