第68話:特別編「戦争・空からの残酷な攻撃」①

戦争の想い出を書く時に最初に断っておきたいことが一つある、

それはアメリカ軍の空襲によって我が家の全てを失ったが、

後年、私は三人のアメリカ人技術者に完全に無償で自動車技術の全てを

教えて貰い、そのお陰で有意義でありがたい一生を送らせて貰った。

アメリカ及びアメリカ人には多大の恩義を感じている。

ではウクライナの空襲の話から…

テレビでウクライナの女性が“空を守って下さい”と、泣きながら訴えている

映像を見た。

コレを見て、私は昨日のことのように私がアメリカ軍の空襲に四か月間さらされた時の

記憶が蘇って来た。

1945年の春、男たちは戦場に駆り出されていて、女と子供しか居なかったために、

6 歳の私は大人の女性たちにまじって、度重なるアメリカ空軍の空襲と闘わねば

ならなかったのだ。

1945年の4月8日の空襲で私は初めて目の前で爆弾によって人が死ぬのを見た。

あまりの恐怖とショックで、過去の全ての記憶を完全に失ってしまった。

空襲が激化している状態だったので、私を含め誰も私が記憶喪失になっていることは

分からないままで時は流れた。

一か月くらいして過去の記憶が無いことがわかったのだが、現時点で普通の思考も判断も記憶も

出来る為に、何らの不自由も無いし、戦争に追われる日々だったので病院で診て貰うなんて事は

誰も考えようともしなかった。

そして、そのまま大人になっている。

“1945年6月17日”、私が 6 歳の誕生日祝いをして貰った五日後の夜、空襲警報は

鳴らなかったのに、いきなり空爆がはじまり、焼夷弾が雨あられのように降り注いで来た。

6 歳の私は大人のような働きをせねばならなかったのだ。

お袋は大きなスコップ、私は小さなショベルで焼夷弾から飛び散る“燃える布切れ”に

土をかぶせて消火作業に追われた。

しかし、ついに手が回らないほどに火に囲まれ、煙で息が出来なくなった為に、

お袋の“もうダメっ、逃げるよっ”の声で、家を捨てることになった。(以下次回へ)

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