第11話:鹿児島のイチローの回想録④「熱烈なイチロー選手のファンにあおられて“戦いの鬼”と化して行く」

イチロー選手が 9 年連続の“ 200 本安打”を達成したのと同じく、

私も 9 年連続の“バッティングセンターのホームラン王”になった為にメディアに大きく取り上げられた。

このことから、熱烈なイチロー選手のファン達から、“たかがバッティングセンターのホームラン王ごときで…”

と嫌みを言われるようになり、次第にそれがエスカレートして行き、

“23m のホームラン王と但し書きを入れろ”、とまで言われるようになった。

売られた喧嘩を買う為に、2009 年目の半ばから奥行きが 35m と遠くて、ホームランゾーンも倍の高さの 8m になる

“メテオスーパードーム”に本拠を移すことにした。

ホームランを打つ為には、単純に倍以上の力を必要とされるわけだ。

主力を担うバットの重さは 1200g 台になった。

写真は上から 1200g 、 1260g 、 1430g の、いずれも“超・トップバランス”の頭の重たいバットだ。

そしてコレらを振り回しながら、文字通り力任せに若者達をねじ伏せ続けた。

その一つが、メテオドームでは「鹿児島のイチローとの一対一のホームラン対決」というイベントを

一年三か月の間にわたって開催して下さり、私が 338 勝 138 敗  88 引き分けという記録が残っている。

このことによって、熱烈なイチロー選手のファン達によるクレームや嫌がらせを完全に払しょくすることが出来た。

その後もイチロー選手が何かの記録を作る度に、私はテレビ局から“祝砲として三本のホームランを打って”

と言われ、イチロー選手が引退したその日まで、何度も何度も、“三本のホームラン”を打たされ続けた。

この日は祝砲としての三本に加えて、責任を果たせた喜びから思い切り振りぬいた一撃は、テレビの喜ぶ

最上段に飛び込む“特大ホームラン”となったのだった。

この、いつ、何どき言って来られるかは分からない、“三本の祝砲”の為に、常に厳しい素振り鍛錬を続ける必要があった。

お陰で、歳とって老化して行くはずなのに、逆にパワーはアップの一途をたどり続け、82 歳の今日でもパンチ力に

関しては全くカゲリを見せることが無いという、“あり得ない状態”にある。

(次回へ続く)

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