第69話:特別編「戦争・空からの残酷な攻撃」②

『爆撃の度に大人のリュックを背負わされて…』

私が空襲を受けて逃げ回っていた頃はカメラなんていうモノは無かった。

だが、今回のウクライナでの悲惨な状態はそっくりそのまま私の脳裏に焼き付いている状況と同じなので、該当する映像を使わせてもらって話を進めることにしたい。

下の映像の中の大きなリュックを背負って避難している少年の姿(白い矢印)は、まさに私の6 歳の時の姿なのだ。

1945年6月17日の夜11 時頃、何らの空襲警報が出なかったのに、いきなり飛行機の爆音が聞こえたと同時に沢山の焼夷弾が降って来た。

前回書いたように大人たちに混ざって、破裂しては飛び散る“燃える布切れ”に土をかぶせて消していたのだが、数が多くてもう手に負えなくなって、お袋の指示で山手の横穴式の防空壕に避難することになった。

家が燃えて無くなることは確かなので、私は家族四人分の食べ物と衣類を大人用の大きなリュックサックに目いっぱい詰め込まれて背負わされた。

重たくて写真の少年のようには真っすぐ立てず、年寄りのように前倒れになって歩かねばならなかった。

防空壕生活が一週間も続くと難儀して運んだ食料も尽きてしまい、また燃え残った家に取りに帰らねばならず、何度も重たい思いをしたものだった。

何処の家も小さな畑を作っていたので、菜っ葉や埋めてある芋るいを掘り起こしては防空壕に運んだ。

このほかにも食べられる草や木の実集めも子供たちの大事な仕事だった。

そんな最中に仲良しだった一つ上の友達が爆弾の破裂した爆風で飛ばされて死んだ。

生まれて初めて見た爆撃の死者を見た時は口もきけず食べ物ものどを通らず、記憶喪失にも

なったほどの大変なショックを受けたのに、もうこの頃になると自分も必ず死ぬのだという思いから

何か感情が無くなっていて怖いとも悲しいとも思わなくなっていた。(次回へ続く)

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