鹿児島のイチロー 魂のぶろぐ!

鹿児島のイチロー魂のぶろぐ

第22話:鹿児島のイチローの回想録⑮「“ヒットの延長がホームラン”という、甘えた考え方」

“鹿児島のイチローとの一対一のホームラン対決”というイベントが開催されて半年経った頃、元ノンプロの経験があるというスラッガーが参戦して来るようになった。 “ヒットの延長がホームラン”という考えを基本にしていて、打率を上げればおのずと...全文はクリック
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第21話:鹿児島のイチローの回想録⑭「理論に固執して型にこだわる指導者とのテレビ対決」

ホームラン対決イベントで、若者達を相手にしながら老人の私の勝率が高いことがテレビ関係者達に知られだすと、色々なテレビの取材が増えて来た。 そんな時、ディレクターの目に止まって私との対決相手に選ばれたのが、仕事として高校球児を...全文はクリック
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第20話:鹿児島のイチローの回想録⑬「“長期間、強さを維持出来ている秘訣を教えて” と」

三年前、新型の剛力マシンが導入されたのを記念して、強者たちだけを集めた第一回の 「130km/h におけるホームラン大会」がテレビ局の収録のもとで開催された。 旧型マシンにおける私の色々な記録は全て破棄されて、新たな難しいマ...全文はクリック
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第19話:鹿児島のイチローの回想録⑫「“無から有を生み出す世代” の強味」

私が社会に出た 19 歳の時はまだ日本は戦争からの復興の途中にあって、まだまだ “無い物”が多々あって不便な時代だった。 全てにおいて、“無から有を生み出さねばならなかった”、のだ。 自動車技術の師匠に弟子入りしたのだ...全文はクリック
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第18話:鹿児島のイチローの回想録⑪「語りたがり達を 力づくでねじ伏せる“極細の 1200gバット”」

バッティングをやるようになってしばらく後に、あることに気づいた。 野球人は、“語りたがり”、“教えたがり“が多くて、自分ではロクに打てないくせして、 語りだけは一丁前というのがうじゃうじゃ居るということだ。 私は若い時、...全文はクリック
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第17話:鹿児島のイチローの回想録⑩「身体的な資質は何も持ち合わせが無いので知恵を絞って戦っている」

身長 163cm で体重が 54kg 前後を行ったりきたりの、バッティング仲間では一番の小柄。 若い時に何も運動というものをやったことが無い為に、基礎的な力や運動能力は何も無い。 全て 老体の62 歳になってから積み重ねて来た...全文はクリック
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第16話:鹿児島のイチローの回想録⑨ 「終戦記念日になると私の原点を思い出す」

1945 年 (昭和20 年)の6 月 17 日、アメリカ軍による鹿児島への大空襲で家を焼かれた私たちは 4km 離れた田舎へ疎開(避難)して、一軒の農家の作業小屋へ居を移した。 8 月15 日、おばあさんがやって来て、“日本は負け...全文はクリック
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第15話:鹿児島のイチローの回想録⑧ 「国分バッティングセンターで 50m の飛距離のテストを」

先の“ETC・千円走り”の時に、北陸道の“名立谷浜SA”で桜の花をバックに愛車ソアラを写した後に駐車場に入れて身体をほぐす為に“王さん志向バット”で素振りをしていたところ四人連れがやって来られた。 良くテレビに出されていた為...全文はクリック
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第14話:鹿児島のイチローの回想録⑦ 「‟王さん志向バット”で武者修行の旅へ」

2009年に、「ETC・千円で走り放題」というのがあった。 当時の愛車「GZ20型・ソアラ2000GT」を駆って一旦鹿児島から青森まで徹夜で走った。 ハイペースランの燃費をテストする目的で走ったのだが 鹿児島から22時間弱で走...全文はクリック
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第13話:鹿児島のイチローの回想録⑥ 「私の職人魂を爆発させた ミズノの門前払い」

体格のいい若者達との戦いの為には、体の小さい私は重たいバットの質量と遠心力を活用した打ち方で 戦わねばならなかったので、色々なヘッドの重たさの900g以上のバットを買い集めていた。 そんな中で、ミズノの松井秀喜選手モデ...全文はクリック
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