鹿児島のイチロー 魂のぶろぐ!

鹿児島のイチロー魂のぶろぐ

第19話:鹿児島のイチローの回想録⑫「“無から有を生み出す世代” の強味」

私が社会に出た 19 歳の時はまだ日本は戦争からの復興の途中にあって、まだまだ “無い物”が多々あって不便な時代だった。 全てにおいて、“無から有を生み出さねばならなかった”、のだ。 自動車技術の師匠に弟子入りしたのだが、修理の為の工具も機...全文はクリック
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第18話:鹿児島のイチローの回想録⑪「語りたがり達を 力づくでねじ伏せる“極細の 1200gバット”」

バッティングをやるようになってしばらく後に、あることに気づいた。 野球人は、“語りたがり”、“教えたがり“が多くて、自分ではロクに打てないくせして、 語りだけは一丁前というのがうじゃうじゃ居るということだ。 私は若い時、自動車技術の師匠から...全文はクリック
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第17話:鹿児島のイチローの回想録⑩「身体的な資質は何も持ち合わせが無いので知恵を絞って戦っている」

身長 163cm で体重が 54kg 前後を行ったりきたりの、バッティング仲間では一番の小柄。 若い時に何も運動というものをやったことが無い為に、基礎的な力や運動能力は何も無い。 全て 老体の62 歳になってから積み重ねて来たものばかりだ。...全文はクリック
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第16話:鹿児島のイチローの回想録⑨ 「終戦記念日になると私の原点を思い出す」

1945 年 (昭和20 年)の6 月 17 日、アメリカ軍による鹿児島への大空襲で家を焼かれた私たちは 4km 離れた田舎へ疎開(避難)して、一軒の農家の作業小屋へ居を移した。 8 月15 日、おばあさんがやって来て、“日本は負けたという...全文はクリック
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第15話:鹿児島のイチローの回想録⑧ 「国分バッティングセンターで 50m の飛距離のテストを」

先の“ETC・千円走り”の時に、北陸道の“名立谷浜SA”で桜の花をバックに愛車ソアラを写した後に駐車場に入れて身体をほぐす為に“王さん志向バット”で素振りをしていたところ四人連れがやって来られた。 良くテレビに出されていた為か、 “あ、鹿児...全文はクリック
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第14話:鹿児島のイチローの回想録⑦ 「‟王さん志向バット”で武者修行の旅へ」

2009年に、「ETC・千円で走り放題」というのがあった。 当時の愛車「GZ20型・ソアラ2000GT」を駆って一旦鹿児島から青森まで徹夜で走った。 ハイペースランの燃費をテストする目的で走ったのだが 鹿児島から22時間弱で走って12.5 ...全文はクリック
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第13話:鹿児島のイチローの回想録⑥ 「私の職人魂を爆発させた ミズノの門前払い」

体格のいい若者達との戦いの為には、体の小さい私は重たいバットの質量と遠心力を活用した打ち方で 戦わねばならなかったので、色々なヘッドの重たさの900g以上のバットを買い集めていた。 そんな中で、ミズノの松井秀喜選手モデルと、ルイスビルの大リ...全文はクリック
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第12話:鹿児島のイチローの回想録⑤「重量バットによる忘れられない戦い」

イチロー選手の、一部の熱烈なファンからの、“たかがバッティングセンターのホームラン王ごときで 天下のイチロー選手にすり寄るな”というクレームや、色々な難癖がエスカレートして来た為に、テレビの出演依頼も “イチロー選手はエベレストを登頂した人...全文はクリック
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第11話:鹿児島のイチローの回想録④「熱烈なイチロー選手のファンにあおられて“戦いの鬼”と化して行く」

イチロー選手が9年連続の“200本安打”を達成したのと同じく、 私も9年連続の“バッティングセンターのホームラン王”になった為にメディアに大きく取り上げられた。 このことから、熱烈なイチロー選手のファン達から、“たかがバッティングセンターの...全文はクリック
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第10話:鹿児島のイチローの回顧録③「すべての絶え間なき進化は“重たいバット”を使っているお陰だ」

普通、人間というもの、歳をとるに従って力が落ちて行くのが当たり前だ。 しかし、私は歳をとるほどに力が強くなり続けている。 若者達との戦いでは、私は体格もパワーも、敏捷さ、柔軟さも全てにおいてかなり劣っている。 なのに、時には若者達よりも厳し...全文はクリック